ゆらりゆらり。
暖炉の炎がちらちらと揺れる。

夜に生きる彼は、暗闇を電灯で照らし上げてしまうことを厭う。
燃え盛る炎を、彼は好んだ。
例えば一本の蝋燭でもいい。彼は、生きた灯が好きだった。
暖炉の中で、朱橙が烈しく踊る。
暗闇の中、明かりは其れだけ。
炎に照らされて、彼は言った。

恐ろしいと。

それは俺が聞いた、最初で最後の、夜想曲の弱音だった。



*


「来たよ」と、報告は至ってシンプルな一言。
すかさず刀の柄を握るが、その手に力は入らない。
刀を抜く気にもなれなかった。
普段から振り回している、その丈長な刀身が、今日はやけに重く感じた。

「椿」

注意を喚起する同期の声と、暗がりから姿を現した彼の声が重なる。
深い夜色の髪と瞳。
敵対する相手に向ける、屈託のない笑顔。
だがそこから、ぼとり、と滴る鈍い紅。

「椿」

もう一度、今度は夜想曲だけが名を呼んだ。
俺を見据えて、何処か噛み締めるように、そっと。
だが、お互いを視認出来る以上の距離には、踏み込んで来なかった。
俺達の守る入口は、煌々とした電灯の光で溢れかえっていたからか。
夜想曲の嫌いな、光。

彼の背後には、傷付いた栗色の髪の女と金髪の少年。
こんな処で、彼の甘さが仇を成した。
彼一人ならば、生き存えただろうに。
軽く手を振って、彼は後ろの二人に先に行くよう促した。
俺もすぐに行く、と彼の口が動く。
一瞬だけ恨めしそうな目を向け、必ずよ、と囁いて二人は背を向ける。


奴等が夜想曲と逢うことは、二度と無い。


「・・・・・」

一瞬だけ、彼から目を背けた。
いや、顔はそのままに、ただ隻眼を閉じて、息を吐いた。
覚悟を決めて、向き直る。
迷いは無い。


「第二期責任者、御印頂戴仕る!」

ははっ、と笑う奴の声は音を成さず、代わりにひゅうっと息が通る風音だけが聞こえた。
此処に辿り着く前から既に切り裂かれていた奴の喉は、もう声など発さない。
先刻二度も俺の名を呼んだのは、果たして俺の幻聴だったか、彼の死力の賜だったか。
俺の抜き取る刀が夜想曲に向く前から、彼が動く度に紅が舞い散った。
俺の嫌いな、紅。
奴の嫌いな、紅。
切り刻まれた身体が夜闇に躍り出る。
夜想曲の整った表情に、微かな苦悶の色が滲んだ。
それでも、楽しそうに彼は笑う。
屈託のない笑顔で。
血腥い再会を、それでも彼は望んでくれた。
既に致命傷を超えた傷を背負いながら、俺の手で散るために。


待ってろ、ノクターン。
今直ぐ楽にしてやるから。





*



「これで・・・・全部だよ」

冷たい石畳に、冬葵が麻布の包みを並べる。
数は10に満たないが、大小は様々だった。

「悪いな、付き合わせて」
「いいよ」

口数が少ないのはお互い様。
俺は準備した針に糸を通して、最初の包みを開いた。
出て来たのは、人間の腕だった。
最後まで刀を振るった、力強い右腕。
隣の大きな包みから、彼の上体を取り出す。
切り口は憎らしいほど鮮やかだった。
俺がとどめを刺したあと、ディストーションが目茶苦茶に刻んでしまった身体。
その一つ一つを、丁寧に縫い合わせて行く。
久遠の人形とは違う。
散った命は、もう戻らない。
そんなくだらない幻想を抱いて、こんなことをしているわけじゃない。


縫い目は細かく。
千切れてしまわぬよう、丁寧に。
出来上がる死体は、つぎはぎだらけのヒトガタ。
それをそっと抱えて、外へ出る。


踏み固められた地面は、なかなか掘り起こせない。
石にぶつかる度、シャベルがキィンと衝撃を伝えた。
最早両腕に感覚は無い。
一心不乱に穴を掘り続ける俺の横で、冬葵は蒼空を見上げている。
言葉は無い。
ただ、俺が砂を撒き散らす音だけが聞こえる。


ざくざく、ざくざく。


やっと掘れた不細工な穴に、そっと夜色と紅の入り交じった身体を横たえた。
するりと一度だけ頬を撫で、穴から上がると、今掘ったばかりの穴を塞いでいく。


ざくざく、ざくざく。


もう脚は見えない。
布団代わりに腹の上にも。
俺をかばって傷めた腕も。
小さかった俺を抱き締めてくれた胸にも。


ざくざく、ざくざく。


手を止め、焼き付けるように顔を見つめる。
夜色の髪、閉じられた瞼の下にある、同色の瞳。

祈るように目を閉じてから、その顔の上にも土を被せた。








*


『アンタほどの恐いもの知らずも珍しいよな』

『恐いもの知らず、ってこともねーよ』

『……アンタにも、怖いものがあるのか?』

『オマエが死ぬのは、死にたくなるほど恐ろしい』

『……でも…、俺だって、いつかは死ぬぞ』

『俺より先には死ぬな、闇椿』

『……無茶言うなよ。それに俺だって、アンタの死に際なんざ見たくねェ』

『俺が死ぬのは、オマエが俺を殺した時だ』

『阿呆が…。俺がアンタを殺すと思ってんのか?』

『オマエが殺すまでは死なねーよ、絶対に』

『じゃあアンタ、永遠に生きることになるな』

『オマエが俺を殺さないなら、な』

『くだらねェ』

『約束だ、闇椿』

『……。判ったよ、約束だ』








埋め立てた穴に、刀を突き立てる。
最期まで振るわれた、ノクターンの刀を二本、天に向かって交わるように。






「・・・・結局、あのくだらねェ約束、守っちまったんだな」





思い切り笑ってやろうと思ったのに、言葉が出て来なかった。
突き立てた刀が、滲んでよく見えない。




「待ってろよ、じきに俺も逝くから」




砂の付いた袖で目許を拭い、それだけを惜別の言葉として贈った。













――――次に逢う時は、もっと長く一緒にいられますように。










哀悼痛惜の奏者


極 楽 浄 土 が あ る な ら ば 、 そ こ で




心が血の涙を流してる。
胸が酷く痛んで、けれど血のぬくもりが温かい。
楽しかった。
ありがとう。




ノクターンの死。
ドラマじゃ出ないけど、トドメを刺すのは闇椿だと思う。

2009.05.07 By RUI
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