どうしようもないことというのは、時に酷く精神を傷め付ける。
長い長い時間を、彼女はほとんど不自由なく過ごしたが、彼女にとって唯一の「どうしようもないこと」は、愛しい人の死であった。彼女が愛し、慈しみ、忠誠を誓う相手は、必ず彼女を遺して死んでいった。永遠を生きる彼女と一緒にいられないのは当然のことであり、また人が死ぬのも当然のこと。
愛しき者が老いていくのは、やはり「どうしようもないこと」で、その人が死んでしまうのもまた、彼女には「どうしようもないこと」であった。

そう、どうしようもない。

けれど、仕方がないと割り切れるほど、最愛の人が死ぬ悲しみは浅いものではなかった。
身を削られるような悲しみと寂寥感は、果たしてそれ以上の苦しみがあるのかと問うても、きっと答えはないほどに。
大抵のことは「どうにか」出来てしまう彼女だからこそ、「どうしようもないこと」はそれだけで彼女にとっての恐怖であり、苦痛であった。


だから、眠兎の瞳に、暗く輝く深い憎悪の色を見取った時、久遠は酷く驚き、また苦しんだ。
眠兎にとって、自分が「どうしようもできない」存在だと知らしめさせるのに、充分な言葉と自覚があったから。


『なんで、クオンは綺麗なの?』


うわべだけを見るなら、随分な賞賛と取れる言葉。
けれど、足りない語彙を補えるほど、憎しみに濡れたその瞳は雄弁であった。

―――何故、姉を死に追いやった貴女が、綺麗でいられるのか。

許さない、と小さな唇はかたどった。
あなたを、ゆるさない、と。
その綺麗な姿を滅茶苦茶に引き裂いてやりたい、と・・・・。
眠兎は久遠というヒトガタを壊してしまいたいと心から望んでいたし、また久遠も、かつての永久に望んだと同様、壊されてしまいたい、「久遠」から解き放たれて楽になってしまいたいと願っていた。
だが皮肉にも、眠兎に精神のない久遠を壊すことは出来ず、久遠もまた、唯一自分を壊すことの出来る永久を喪ってしまっていた。そしてまた、生前の永久自身にも、馴れ合いすぎてしまった久遠を壊すことは、出来なかった。
全員が全員、無限の連鎖へとはまり込み、その泥沼から一歩も足を動かせずに沈んでいく。
全ては、「どうしようもないこと」。
たった一つ歯車が食い違ったがために、全ては神の手をも離れ、誰にも止められなくなった。
まるで小さな雪球が、坂を転げ落ちて巨大な球となり、郷を襲うように。



「・・・けれど、最初から、どうにもならなかったのよね」


夜風に当たりながら、そう一人ごちる。
気付いたときには既に、雪球は転がり始めていた。
どこで止めればよかったのだろう、どこで止められただろう?
考えてみても、手遅れの事態しか浮かばない。

永久と出逢わなければ良かったのだろうか。
だが、出逢わなければ自分を壊してもらえない。
永久に出逢い、永久が死に、眠兎が私を怨み、しかし壊せない。アリスには出来たけれども、アリスは私を憎まなかった。

眠兎に憎しみを晴らすすべはなく、そしてまた、私も永遠から抜け出すすべはない。


「可哀想だね」

笑い声と共にそんな言葉が投げかけられる。振り返るつもりもない。
黒い部屋の鏡台で、紅い瞳の少女がけたけたと笑っていた。
眠兎と同じ顔、同じ声。半分に裂かれた、もう一人のミント。

「可哀想だなんて、微塵も想っていないでしょう」

アリスと目を合わせるつもりもなく、口先だけで言葉を返した。
けたけたと、笑い声が鳴る。

「思ってるよ。・・・嗚呼、可哀想!死にたいのに死ねないなんて、可哀想!」
「からかいにきたのなら、帰りなさい。不愉快だから」
「不愉快にさせるためにからかってるんでしょ?相変わらず面白いことを言うんだね」
「本当に私を可哀想だと思うのなら、貴女が私を・・・・・・、殺してよ」

初めて振り返り、鏡台の彼女と目を合わせる。
アリスは紅い瞳で嗤った。

「殺さないよ、どっちにしても」
「何故?」
「私がクオンを憐れむなら、殺せない。憐れまないなら、苦しむ貴女を殺してあげる理由もない」
「・・・・。そうね」

アリスはけたけたと笑う。
外に視線を戻せば、彼女の瞳と同じ色の月が掛かっている。
紅く、禍々しい月に、思わず溜息が零れた。

感嘆か、絶望か、理由は定かではなかったけれど。


「・・・死に急ぐことはないんじゃない?」
「急いでなどいないわ。もう充分な時間を過ごした。それだけよ」

あーあ、と呟く声が聞こえる。
何に呆れているというのだろうか。
・・・それすら、もう私には判らない。

永久を喪った時点で、私は全てを失くしてしまっているのだから。

だから・・・・





「アンタは生きなよ、クオン」




最後にかけられた声に首を傾げた。
私がとっくに生きてなどいないことを、彼女が知らないはずもなかろうに、と。








終わり無き迷路


迷 う だ け 迷 え ば い い 、 迷 う 以 外 に 選 択 肢 は な い の だ か ら




右手で左手を掴み、左手で右手を掴んでごらん。
逆の手が離したら、その手も離していいよ。

・・・・ほら、抜け出せない迷路にはまった。




つまりは合わせ鏡のような。
Excelでいう絶対参照。

2009.05.07 By RUI
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