脱力していく体を留めようとも思わず、そのままセカイが回転していく様を眺めながらベッドに倒れこむ。
声を押し殺して泣く気にすらならない。
絶望した精神はただただ憔悴しきっていて、もう発散するものも何も無い。
子供が落書きしたような丸い太陽が堕ちかけた、真っ赤な空を何の感動もなく呆然と眺めやる。
空が何色だろうと、私には関係ないのだから。
興味などないが、首を回すことすらもうままならず、目だけが沈み行く太陽を追う。
目が痛い。
このまま焼き切れてしまえと口の形だけで呟いて、わざとらしく卑屈に笑う。





・・・・・・鬼。
ふと脳裏を掠め行くのはそんな単語。
昔、誰かから聞いた話。
川原で石を積む、子供の話。
童話だったか神話だったか、はたまた作り話だったのかは、思い出せないけれど。


天まで石を積むことができれば、天国に連れて行ってもらえると言われ、子供達は純粋にその言葉を信じて石を積む。
けれど積んだ先から、鬼が横から積んだ石を崩してしまう。
1mも届かないうちに崩れてしまう石。
それでも子供達は積み上げていく。
崩される。
積み上げていく。先刻より、僅かでも高く、高くと。
けれどやはり、自分の身長の半分すら超えぬままに、石は崩される。

そもそも、何も無い川原。
例え誰にも崩されず、石が積んでいけたとしても、自分の手が届かない高さまで積んでしまったら、後はもう積めない。
天までなんて、それこそ天まで手が届かない限り石を積むなど到底不可能な話。
もし天まで手が届くとするなら、石を積まずとも助けを呼べるだろう。
もしくは自力で天に這い登れるだろう。


真実を知っている鬼は、だから嗤う。
涙を振り払って石を積み続ける子供達を嗤う。
無知だと、愚かだと、嗤う。

賢いのは鬼で、無様で滑稽で無知なのは子供達。

石を崩され続ける子供達は、時にやり場の無い悔しさと、憤りと、虚しさに溺れて、ひたすらに泣き喚く。

それがまた滑稽だと、鬼は嗤う。











・・・・・・・・・・大人は、鬼だ。


ぼんやりと思ったことは秒を重ねるごとに脳内に焼きついていく。

大人は、鬼だ。

賢くて残酷な、鬼。




愚鈍で無知な私達は、鬼の掌で遊ばれるだけ。
逃げ出す術を、手段を、手に入れるには時を重ねる以外に方法は無い。
鬼退治なんて誰もしてくれない。
もどかしさに泣いて、痛みに耐えて、苦しみを味わって、絶望に浸る以外に為す術などない。
いつか、自分も鬼になるまで。


嗤う側に回るまで。





私達は、嗤われる。






















サンタクロースの来ない部屋



私がセカイで一番、不幸だとは思わないけれど
私はセカイで一番、神から遠いトコロに居るのだろう。

だって、どれだけ叫んでも神は応えてくれないのだから。





暗い。

(2007 / 9 / 19 By RUI)
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