多かれ少なかれ、子供というものは大概どれも、些細な不条理や、理不尽な日常や、賢い大人というモノに嫌悪感を抱くモノなのだ。自分も無論その例外ではなく、退屈な毎日を送る節々で世の理不尽さにうんざりしていた。
かといって勿論自分がそれをどうこう出来るわけもなく、それこそ日常の強固さを理解できないほど幼稚なうちは、いつしかこの卑屈なセカイを変えてやろうと息巻いていたかもしれないが、自分もこのセカイの薄汚れた空気を吸い、薄汚れた街で少しずつ育ち行く内に、段々と順応・・・それとも汚染と言うべきか、大人になる頃には誰もこのセカイを理不尽だとは思わなくなる。
気付けなく、なるのだ。
もしくは、面倒ごとから敢えて目を背けている者も有るだろう。
抗うというのは、非常に疲れるのだ。
流された方がどれだけ楽なのか、大人というモノは知ってしまっている。
・・・・他人事。
自分に被害が無い限り、大抵の大人は面倒ごとに自ら首を突っ込むような愚かな真似はしない。
口先だけでは簡単な感想、哲学者にでもなったかのように善悪論を空で演じてみせるかもしれないが、数時間経てばそんなことは頭から消え去ってしまう程度に、どうでもいいことなのだ。
大人にとっての、他人の苦しみというものは。
それは必ずしも大人に限ったことではないかもしれないが、それでも大人にその傾向が強く見られる・・・というより大人は全般的に、他人の痛み、苦しみ、哀しみが判らないように思えるのは、ただ単に僕がそういった大人にしか出会ったことが無いからかもしれないし、偏見と蔑まれることもあるだろう。経験豊富というには少なすぎる時間、まだ僕は「セカイ」の極一部も知らないのだから。
けれど。
けれど、何も知らないというわけでもない。
僕という小さな小さな単体を取り巻く、本当に極々僅かなセカイでも、僕にとってはそれが「僕のセカイ」なのだ。
そのセカイで起きていることくらい、そしてそれが何を意味するのかくらい、僕にだって理解できる。
・・・・・・・・・僕の、弟。
同じ血を分かち合ったのに、僕とは天と地の扱いを受けていた弟。
冷たい床に何度叩きつけられたことだろう。
食事を貰えず、飢えに震える日々はどれだけ長く感じられただろう。
繰り返される暴力に抗う術を知らず、ただ耐えるだけの毎日はどれだけの苦痛だったのだろう。
思考を奪う紫煙と、アルコールの匂いが充満したあの『家』という檻の中で。
どれだけの苦しみを味わったことだろう。
なのに、恨んで当然の僕を一度も蔑むどころか、痛々しい傷をそっと隠して微笑んで見せて。
どれだけ哀しかっただろう。
どれだけ苦しかっただろう。
どれだけ淋しかっただろう。
どれだけ痛かっただろう。
なのに、絶対に僕を恨もうとはしないで。
何故、あんなにも純粋な人間が、こんなにも穢れきった大人に蹂躙されなければならないのだろう。
どうして誰も助けてくれないのだろう。
・・・・どうか、どうか。
君を救えなかった僕だけど、せめて
君を一瞬でも、苦しみから救ってあげたい。
それだけ。
本当にそれだけなんだ。
・・・・・・・・だからお願い、神様。
僕の幸せも、命も、「 」に全部あげるから。
宵祭りの雑踏
見失った君が何処かで僕を呼んでいたとしても、僕にその声が届くことは無い。
・・・・・・・死して尚、弟の重荷になろうなどと誰が想像できようか。