そしてちる










「お前は、残酷だな」






不意に投げかけられた言葉にも、しかし黒服の女は動じる素振りなど微塵も見せず、振り向いてその声の主を確かめようとすらしないままに溜息をひとつ零した。
しかし、その吐き出された溜息は、疲れきった多くの人間がするようなそれと違い、例えるなら氷点下の中に鳴る吹雪のような冷たい響きを放ち、そしてその吐息は『本当』に冷たい闇の中へと溶けていった。

「全く・・・次から次へと・・・・。」

やはり女は振り向こうとはせず、静かに視線を動かして、この漆黒の塔よりは遥かに明るい外へと目をやった。
明るいとはいえ、外はもう夜に類する時間帯。
この塔が、極端に暗すぎるのだ。


憎悪や落胆や嫉妬や苦痛や悲壮や絶望や・・・・・・・・
この世の暗い処全てを掻き集めたような、ひとつの闇が此処には在った。



「何故ミントを此処に連れてくるの?」

灰色の雲から、銀の月が顔を出す。
窓からそっと遠慮がちに光は侵入し、久遠ともう一人の男を照らし出す。
月光に反射して、男の銀の髪が美しく輝いた。


薄く、本当に薄く、男は笑みを浮かべた。

「眠兎は勝手に此処に来る。その行動には他の誰の意思も挟まれていない。」
「貴方はあの子の教師。阻止することが貴方の仕事でしょう?ナイトメア。」
「生命の危険はともかく、眠兎が此処に来るのは良い傾向だと思っている。」
「良い傾向?」

久遠は訝しげに振り向いた。

「何よりも一番優先されるべくはあの子の生命。それは貴方も良く判っていることだと思っていたけれど。」
「そうだな。そしてそれをお前に教え込んだのは私だ。」
「ならばなぜ。」
「お前が、此処にいるからだ。」





ザァ・・・・・・・

夜風が、塔を覆い尽くそうと手を伸ばす荊の藪を散らしていく。
鋭い棘を垣間見せながら、荊は美しい花のカケラのみを風に手渡しザワザワと鳴る。
血を欲する荊が、久遠を恨めしげに睨んだ。







「―――――私が此処にいるから・・・・・?」

ほんの少しだけ、久遠の表情に驚愕の色が混じる。
身体を切り裂かれても顔色ひとつ変えない彼女なのだから、表情は僅かしか変化しなくても、心の奥底では相当に驚いているのが見て取れる。
それは、彼女を良く知るこの男・・・・・・「ナイトメア」だからこそ。






「―――――お前が一人でいるには・・・・・・・・この塔は少々、広すぎる」




廊下に、ナイトメアの言葉が響いていく。
毒に侵された彼の身体、その唇から紡がれる言葉でも、久遠と比較するなら温かく聞こえるそのセリフ。
しかし彼女を想ってのその言葉さえ、この塔の中では温度を奪われ、冷たいモノへと変えられていく。


冷たい
冷たい

どこまでも。



―――――――――冷え切っていく。

冷たさは冷たさを呼び、凍えきった身体には普通の温かさはもう熱すぎる。
偶に気が向いて手を伸ばしてみても、その温かさに触れる度、火傷をして痛いだけ。



「・・・・・・・・・・」


けれど、ココロの温度差で火傷をする痛みがどれだけ貴重なものなのか、久遠は良く判っていたから。
そして、もうその痛みも、そしてそれと同時に感じる「生きている」という実感も、例えばふと思い出す青空の美しさなどを、もう二度と触れられない位置にまで堕ち、そして這い上がる事など許されない一人の「少女」を知っていたから、久遠は決してナイトメアを突き放したりはしなかった。



「・・・・・・・・今夜は、冷えるわね・・・・・・」



カタカタと震える手を、隠すようにそっと自分のもう片手で包み込む。
けれどナイトメアは簡単にそれを見透かし、後ろからそっと久遠の髪に触れて、耳に口を寄せた。

「・・・・・・・触れても、良いか?」
「・・・・好きにしてください。」

言うと、ナイトメアは労わるように、本当にそっと久遠の手を握った。
温かい。
温もりが握られた手を伝って、ココロまで届く。
心地良い。
けれどその心地良さは逆に恐怖心を煽る。

この手が永遠に自分から離れてしまった時。
自分が、本当に「独り」になってしまった時。

自分はどうなってしまうのだろう・・・・・・?



「・・・・・・・・離して。」


思っている事とは裏腹に、唇は勝手な言葉を紡ぐ。

「断ろう。」

尚も震えつづける久遠の身体を抱き締めて、ナイトメアは答える。
拒否する言葉が、久遠の本音ではないと判っているから。
口に出さない、久遠の「離サナイデ」というメッセージを敏感に受け取って、ナイトメアは少しだけ抱き締める腕に力を込める。

「・・・・・・離して・・・・よ。」
「断る。」


あぁ、寒い。

冷たい。
冷たい。

こんなに抱き締めてもらっているのに。



――――――ナイトメア一人の力では、久遠を闇から連れ出すことは出来ない。

そんなこと、二人共充分理解していた。







「――――死ぬな、絶対に。私の元から勝手に逃げ出す事など、絶対に許さない。」
「・・・・・貴方は、我侭よ・・・・。私の事は置いていくのに・・・私の元からは簡単にいなくなるのに・・・。」

久遠はナイトメアの胸に顔を埋め、大人しくされるがままになる。
その細い手は、指は、微かにナイトメアの服を握った。
『どこにもいかないで』
その簡単な一言を、しかし自分は言う事が出来ない。


「お前は死なない。お前だけは死なせない。」
「我侭な人・・・・自分勝手な人・・・。そんな事を言って、いつかは私を置いて居なくなるのでしょう?」

ふっ・・・と、ある日突然に。
細い煙が風に消えるように。
貴方はいなくなるのでしょう。
私を一人残して。





それがどれだけツライことか。
けれどそれは、そう遠くない私達の未来。


「私はお前の傍にいる。だから約束するんだ、お前も私の傍にいると。」
「・・・・・。」

絶対に守れるはずの無い約束。
だから私も嘘を吐く。


「私は貴方と共に在る。だから貴方も、私と共に―――――・・・」






















嘘ばっかりのこんなセカイなんて、壊れてしまえば良い。






甘々ダーク。
私が甘モノ書くと、その分ダーク度も増す。
2007年最初の短編がコレですか。

(2007 / 01 / 04 By RUI)

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